大判例

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最高裁判所第二小法廷 平成6年(オ)2052号 判決 1997年9月12日

上告人

亡阿曽正榮遺言執行者

神垣守

上告人

阿部純生

被上告人

三菱信託銀行株式会社

右代表者代表取締役

中野豊士

右訴訟代理人弁護士

髙橋紀勝

土井隆

主文

原判決を破棄する。

本件を大阪高等裁判所に差し戻す。

理由

上告人らの上告理由について

一  原審の確定した事実関係の概要は、次のとおりである。

1  阿曽正榮は、平成三年六月八日付けの遺言書により、同人が死亡した場合には同人の財産全部を上告人阿部純生に贈与する旨の遺言をした。

2  阿曽は、平成四年七月二八日、被上告人の神戸支店から、貸付信託に係る信託契約の受益証券(ビッグ)を代金四五〇万円で購入した。同受益証券については、平成五年八月五日以降、受益者の請求により、受託者が買い取ることができる旨の定めがあった。

3  阿曽は、平成五年四月一日に死亡した。同人には、相続人は存在しない。

4  上告人神垣守は、平成五年六月二九日、神戸家庭裁判所により、阿曽の前記遺言の遺言執行者に選任された。

5  上告人神垣は、平成五年八月五日、被上告人に対し、前記受益証券の買取り及び買取金の支払を求めたが、被上告人はこれを拒んだ。

二  本件は、右事実関係の下において、上告人神垣が、被上告人に対し、主位的に前記受益証券の買取金四六〇万七二九二円及びこれに対する遅延損害金の支払を、予備的に原判決別紙記載のとおりの信託総合口座の名義を阿曽から上告人阿部に変更する手続を求め、原審において訴訟に当事者参加した上告人阿部が、上告人神垣に対し、同上告人が被上告人に右買取金の支払を求める権利を有しないことの確認を、被上告人に対し、右買取金及びこれに対する遅延損害金の支払をそれぞれ求めるものである。

原審は、阿曽には相続人が存在しなかったから、遺言執行者である上告人神垣及び包括受遺者である上告人阿部は、民法九五一条以下に規定されている相続人の不存在の場合の手続によることなく阿曽の相続財産を取得することはできないとして、上告人阿部の上告人神垣に対する前記確認請求を認容し、上告人神垣の請求及び上告人阿部のその余の請求は棄却すべきものとした。

三  しかしながら、原審の右判断は是認することができない。その理由は、次のとおりである。

遺言者に相続人は存在しないが相続財産全部の包括受遺者が存在する場合は、民法九五一条にいう「相続人のあることが明かでないとき」には当たらないものと解するのが相当である。けだし、同条から九五九条までの同法第五編第六章の規定は、相続財産の帰属すべき者が明らかでない場合におけるその管理、清算等の方法を定めたものであるところ、包括受遺者は、相続人と同一の権利義務を有し(同法九九〇条)、遺言者の死亡の時から原則として同人の財産に属した一切の権利義務を承継するのであって、相続財産全部の包括受遺者が存在する場合には前記各規定による諸手続を行わせる必要はないからである。

四  そうすると、右とは異なり、阿曽には相続財産全部の包括受遺者である上告人阿部が存在するにもかかわらず、阿曽に相続人が存在しなかったことをもって、同人の相続財産について民法九五一条以下に規定された相続人の不存在の場合に関する手続が行われなければならないものとした原審の前記判断は、法令の解釈適用を誤ったものというべきであり、この違法は原判決の結論に影響を及ぼすことが明らかである。論旨は理由があり、原判決は破棄を免れない。そして、本件については、貸付信託に係る信託契約の内容等に則して各当事者の請求の趣旨及び原因を整理するなど、更に審理を尽くさせる必要があるから、原審に差し戻すこととする。

よって、民訴法四〇七条一項に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官根岸重治 裁判官大西勝也 裁判官河合伸一 裁判官福田博)

上告人らの上告理由

原判決は、判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の違背がある。

一、原判決は、相続人の存在しない亡阿曽正榮が上告人阿部純生に対し遺言でもってその遺産全部(積極、消極財産全部)を包括遺贈し、亡同女の遺言執行者として上告人神垣守が選任されていても、本件のような相続人不存在の場合には民法第五編第六章の手続を行い、その手続の中で受遺者の権利を実現すべきであって、遺言執行者及び包括受遺者は、その手続によらずに死亡者の遺産を取得することはできないと判断した。

しかしながら、遺言執行者は相続人の存在の有無に拘らず第三者に対して遺贈の目的物引渡しの訴を提起でき(大判昭一五・一二・二〇)、また、遺贈を受けた不動産の所有権移転登記については、遺贈を登記原因として遺言執行者が登記義務者となり、登記権利者の受遺者との共同申請でもって登記をしているのが登記の取扱い実務である。

本件においても上告人らは包括遺贈者である亡同女所有の不動産を右登記実務に従って、上告人阿部純生名義に所有権移転登記を完了した(甲九、一〇号証ノ一、二)が、原判決の判断によれば、この所有権移転登記は民法第五編第六章の手続で行っていないので権限のない遺言執行者が行った無効の登記であり、遺言執行者の預貯金その他の債権、権利の回収、受遺者への権利移転など一切の職務は執行すべきではなく、また、なされたその執行は無効となるから、いずれも遺言執行者は回復義務を負うこととなる。このように解されると現行の実務の取扱いは不適法として違法、無効となり実務上混乱を生じることは明らかである。

1 本件の場合、すなわち全遺産について包括受遺者があるときは、民法第九五一条の「相続人のあることが明らでないとき」に該当しないと解すべきである。

全部包括受遺者の場合、相続人と同一の権利義務を有し(民法九九〇条)死亡者の積極財産のみならず消極全財産も移転し、遺産が債務超過のときには自己の財産をもって弁済しなければならない相続と同一の法律状態となるものである(遺贈者の債権者は、全部包括受遺者に対し直ちにかつ直接に請求することができる)。

本件の包括遺贈についての承認、放棄及び限定承認は相続人の規定が適用され、遺贈者の遺言は遺言者の死亡の時から効力を生じ(民法九八五条)遺産はすべて亡同女の死亡時に上告人阿部に移転し、管理すべき遺産は存在せず、仮りに申立があっても相続財産管理人選任は必要性がなく却下されるものである。

上告人らは、相続財産管理人選任申立の義務を負うものではない。

なお、本件は、相続財産管理人の選任がされていないが、相続財産管理人のあるときであっても、相続人捜索の公告期間満了時までに相続人または包括受遺者が出現したときは、相続財産法人は存立しなかったものとみなされる(民法九五五条)とする見解からすれば本件において相続財産管理人を選任し、その手続で遺産を取得すべきとする原判決の判断は当を得ない。

「全遺産について包括受遺者がある場合は、民法九五一条の「相続人のあることが明らかでない」場合に該当しない。」と解されているもの。

○判例タイムズ遺産分割・遺言二一五第一七問、四二五頁

○相続法(新版)中川・泉三九三頁

○家続法判例百選(新版)八四問、一九四頁

○札幌高裁函館支部昭四一・八・一下民集一七・七=八・六三八

○財産管理実務研究会編集「不在者・相続人不存在、財産管理の実務」一二五頁

○注釈家事審判法斎藤・菊池編二六八、二六九頁

2 原判決は、遺言及び遺言執行者制度の解釈に誤りがある。

遺言制度は、遺言者において所有する財産をその生前、贈与する自由を持っているのと同じように遺言でもって自由な意思に基づき処分する方法として存在するものであり、遺言執行者制度は遺言者の意思を遺言どおり早急に履行、実現すべきことを確保するためのものである。

そのため、民法は、遺言執行者に相続財産の管理その他遺言に必要な一切の行為をする権利義務を持たせ(一〇一二条)、包括遺贈のときにはこの管理処分権は相続財産全部に及ぶ(民法一〇一三条)と解され、遺言執行者は遺贈の目的物の引渡を請求できること前述のとおりである。

しかも民法一〇〇七条は「直ちにその任務を行わなければならない」とし、これに違反すれば解任事由となり義務違反の責任を生ずることになる。

右遺言執行者の義務と責任は、遺贈者に相続人が存在すると否とを問わないものである。

しかしながら、原判決の判断のように本件の如き相続人不存在の場合には、民法第五編第六章の手続を行い相続財産管理人のもとでのみ遺言を実現すべきであるとするなら、遺言及び遺言執行者制度の意義は失なわれることとなり、遺言執行者(遺言指定の場合も含む)は一切の遺言執行行為を行うことができず、引いてはこれらの制度の存在価値がなくなるものといわざるをえない。

さらに、原判決の判断の論旨を押し進めてゆけば、相続人不存在のときには遺言による遺言執行者の選任は実質的に無効であり、受遺者などから選任申立を受けた家庭裁判所は執行行為を行うことのできない遺言執行者を選任する必要がなく、却下すべきである。

二、相続財産につき相続財産管理人を選任するのは相続人不存在のときであるが、本件のような全部包括受遺者が相続人と同一の権利義務を有するに拘らず(原判決は報告を求めることができるとはいうが)受遺者は後日取得する遺産に影響のある届出債権者の債権の有無及び額の確定に関与できないこと及び遺言執行者と相続財産管理人の併存と権限の競合等の問題もあるが、以上の右二点のみでも原判決は、相続人不存在による相続財産管理人制度及び遺言、遺言執行者制度の相互の関連性を無視したものであって、法令の解釈、適用につき重大な誤りがあるといわねばならない。

未だ相続財産管理人の選任されていない本件においては、被上告人は上告人遺言執行者神垣守の総合口座名義変更の請求を認め、上告人阿部純生に対し貸付信託の解約金を支払うべきものである。

よって、原判決破棄及び自判を求める。

(添付書類―甲第九号証以下―省略)

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